ギャンブルの中でも「不確定要素」が強い、つまり俗にいう「運」にかかって
いる部分が最も大きいものに、サイコロ博打があります。
「あんなもの、サイコロを二つ転がして偶数か奇数かを当てるだけじゃないか」
なんて考えている人は能天気ですよ(失礼)
ちなみに、偶数と奇数の出る確率は同じです。
私が通った進学高校(軽く自慢入れておきます。もっとも、早熟タイプだっただけですが)では、どちらの確率が高いか、真剣に考えていたヤツが何人もいました。
頭が良すぎる(?)と、余計なことを考えすぎて、常識から逸脱することが
往々にしてあるようです。
偶数と奇数がもし違う確率になるなら、丁半博打は成立しません。
まあ、余談はさておき、私がいいたいのは、盆に張る駒の大きさ、つまり掛け金の額によって、振るサイコロの目は狂って(違って)くる、ということです。
このことは、ギャンブルの神様として有名な阿佐田哲也氏が『麻雀放浪記』に記述しています。
最近で、ギャンブルの本質を強烈に表現しているのは、超天才的な漫画家、福本伸行氏です。
代表作である『アカギ─闇に降り立った天才』(竹書房)や『賭博黙示録カイジ』(講談社)などは、いい人生勉強になりますので、一度お読みになってみるといいでしょう。
さて、「サイの目は狂う」ということですが、
例えば100円が1万円になった万馬券の話をすると、
「じゃあさあ、1000円買ってたら10万円!
1万円買ってたら100万円!
ということは、
10万円買ってたら……1,000万円かよぉ〜!!!」
という反応(絶句、バターン状態)。
いいえ、物事はそんなに単純なものではありません。100円なら気軽に賭けられますが、1万、10万、100万円となると、賭ける人の気持ちが変わってしまうのです。
そして、それによってサイの目(馬券なら買い目)は狂ってくるのです。
我々がプライベートでやるゴルフの、最終18番ホールで残りわずか1メートルのパットと、優勝賞金3,000万円がかかったプロのトーナメントの1メートルのパットでは、まったく次元が違うということです。
だから、百戦錬磨のプロに「イップス(精神が体に影響し、思い通りのプレーができなくなる症状)」なんていう恐ろしい病魔があるのです。
それはギャンブルでも同じであって、このあたりのことは、競馬をやっていると、プロスポーツ選手並み(?)の質の高い人生勉強ができます(笑)。
競馬が人生の比喩なのではない。
人生が競馬の比喩なのだ。
寺山修司
私もいつかは、こんな洒落たことを言い残したいものです。