目次
ハンドルネーム
街の競馬コンシェルジュ
主な略歴
競馬デビューは、1972年社会現象にもなった怪物ハイセイコーが大井競馬場から鳴り物入りで中央競馬へ移籍してきたときです。
まだ、純粋?な高校一年生でした。
その後ドロップアウトすることもなく、還暦を越える今まで約47年間「競馬」という人生ドラマを見続けてきました。
一昨年には、念願の競馬本の出版も果たしました。
この本は、お陰様で重版となり、嬉しく思っています。
その中で持論を展開している「イン・セン・テン・キ・クン★スキ作戦」が功を奏して、2019年の日本ダービーでは、①番ロジャーバローズから買って、万馬券ゲットに成功しました。
これを、事前に紹介できていれば、感動してもらえた人もいただろうなぁと思い、週末に予測を載せるブログ「夢の万券ゲット」を始めています。
競馬を始めたキッカケ
自慢になりますが、高校は都内有数の受験校に合格。
ところが、入学してからは、記憶したものをテストで出す、いわばあらかじめ答えが決まっている学校の勉強というものに興味がなくなってきました。そんな時、先が不透明で結果が読み切れない、競馬や麻雀という魅惑の世界と出会うことになります。
最初は、友人と2人で複勝馬券を賭け合っている程度でした。
ところが、府中競馬場でライブを観戦してからは、サラブレッドがターフを走る迫力とゴール前の歓声に興奮を覚えました。
そして、もっとも興味が沸いたことは、あらゆる角度から検討を加える競馬の予想方法を研究することでした。
様々な試行錯誤を繰り返しているうち、このプロセスが楽しくて仕方なくなり、この世界にすっかりハマってしまいました。
予想のスタイル
元来、ひとりで研究することが好きで、競馬に関する本も100冊以上は読んだと思います。
様々な予想方法があるもので、なるほどなぁ~と関心させられたものもいくつかありました。
競馬は、いくつかのファクターが複合的に絡んで結果がでているので、あらゆる角度からアプローチすることができると思います。
その中で、私が一番重要視するファクターが「レース展開」です。
普通に考えれば「実力のある馬≒人気のある馬≒好走する確率の高い馬」ということで、実力のある馬が勝ち、馬券も平穏?な低い配当で終わります。
但し、これだと馬券のパフォーマンスは期待できません。
そこで、
リターンをより多く得るためには、この数式を破壊する必要があるのです。
「実力が不足している馬≒人気薄の穴馬≒今回はレース展開の助けがあって好走する確率が上がる馬」をいかに見つけられるかが、勝負の分かれ目になります。
そうです。
実力と結果を歪めてくれるファクターは、なんといっても「レース展開」ということです。
「レース展開」の他のファクターとしては、「コースバイアス」や「馬キャラ」なども挙げられます。
まあ、このあたりのことは、本編で詳しく触れていきますので、ご期待ください。
馬券購入のスタンス
馬券購入のスタンスは「穴」狙いです。
株式投資でも、バリュー投資が有効といわれています。
この世界で成功を収めた著名な投資家は、ウォーレンバフェット氏を初めとしてほとんどの人が逆張りを基本戦略としています。
やはり、株式投資なら株価が下がった時、馬券なら人気が下がった時が「買い」だと考えます。
本命馬券を 枚はたいて大勝負するよりも、投入金額を低く抑えられるので、精神的に余裕ができるというメリットもあります。
記憶に残るレース
1973年第40回日本ダービー(勝ち馬 タケホープ)
古過ぎますかねぇ(笑)
記憶に残っているのは、勝ったタケホープでなく、3着に敗れたハイセイコーです。
大井競馬場から中央入りして、引退後は「さらばハイセイコー」という曲まで出た、国民的アイドルになったサラブレッドです。
この時代は、距離体系が確立しておらず、長距離いわゆるステイヤーがもてはやされていました。
また、ダート戦は完全に下に見られていましたので、チャイナロックの産駒でダートが抜群に上手く、長い距離は不得手なハイセイコーは本当に苦労したと思います。
古馬になって最初のACJ杯、府中の芝2400メートルでタケホープが勝ち、逃げたトーヨーアサヒにまで差し返されてブービーまで落ちたとき、場内から失笑が聞こえました。
ところが、その次の中山記念1800芝では、雨で泥んこの馬場になり、力のいる馬場が大得意のハイセイコーは、そのタケホープとトーヨーアサヒを大差でぶっちぎりました。
「行け!ハイセイコー!」
まだ、純粋だった青年は、大声を上げて叫びました。
このシーンを思い浮かべると、今でも目頭が熱くなります。
距離体系が確立している現在の競馬で走ったら、フェブラリーステークスやチャンピョンズカップのGⅠで何連勝していたことでしょうか。
今やじじいの私の青春時代
絶対に忘れることのとのできないサラブレッドです。
それが、ハイセイコーです。
1987年第54回日本ダービー(勝ち馬 メリーナイス)
これまた、古過ぎますかねぇ(笑)
藤田菜七子ちゃんの師匠である、根本康広調教師が騎乗。
その後、「優駿」オラシオンという映画のモデルにもなったサラブレッドです。
当時、仙台エリアでの勤務で、ここにはウインズはなく、インターネット投票なんて影も形もない時代でした。
そこで、馬券を購入するために、会社の同僚とマイカーのプレリュードを飛ばして福島競馬場まで出向きました。
この時の1番人気は、皐月賞を物凄い末脚で3着に追い込んできた、当時トップジョッキー岡部幸雄騎乗のマテリアル。
その頃はあまり意識していなかったことですが、追い込み馬の1番人気は危険だなぁと、薄々感じではいました。
そして、オカルト予想の元祖である高本公男氏の書籍で「ダービーを勝つのはベテラン調教師が管理する馬」という記述を読みました。
このメリーナイスは、美浦の大ベテラン橋本輝雄調教師の管理馬でした。
インコースで先行力もあるメリーナイスがドンピシャ、カモとなる危険な人気馬もいるということで、馬券的にワクワクしてきたことを覚えています。
そこで、枠連で、1-3 3-3 3-5の3点に絞って勝負。
見事、1-3で決まってくれて配当は6,280円。
仙台に戻って、一緒に行った同僚と国分町でどんちゃん騒ぎをしました。
1989年マイルチャンピョンシップ(勝ち馬 オグリキャップ)
「負けられないオグリ! 譲れない武豊!」
ジャパンカップで2分22秒2という驚異的な時計で、ホーリックスにクビ差負けたオグリキャップが怒り?の連闘策で臨んだレース。
※ネットで調べると、この順番が逆になっています。
何年も前のことで記憶が間違っていたらすいません。
バンブーメモリーには、若き武豊が騎乗。直線で先頭に立ったバンブーを懸命に追いかけるオグリ。
そのデットヒートを演じたシーンで、関西TVの競馬アナウンサー杉本清さんが実況したのが、この名台詞。
この言葉で、どれだけレースが盛り上がったことでしょうか。
杉本さんは、この他にも、
サクラスターオーが勝った1987年の菊花賞で「舞った舞った!秋の淀にサクラが舞ったぁ!」
と歴史にも残る実況があります。
この名調子を思い出すと、いまでも背筋が寒くなるほどの興奮を覚えます。
ピンときませんか?
日本一美しい競馬場といわれる淀の京都競馬場の「秋」に、春の風物詩である「桜」が舞うのです。
凄くないですか。
居酒屋で飲んでいる時、この話をすると必ず質問されるので説明してしまいました。悪しからず。
2015年有馬記念(勝ち馬 ゴールドアクター)
記念となる第60回の「有馬記念」。
超個性的なキャラで競馬ファンを楽しませてくれたゴールドシップの引退式ということもあって、当日の中山競馬場は熱気に溢れている中、穴馬券の勝負を慣行。
狙ったのは、ゴールドアクターで、⑦番枠でした。
逃げるであろう、といっても⑫番で先頭に立つまでに苦労しそうなリアファル、先に行くあのキタサンブラックも⑪番、距離に不安がある④番ラブリーデイが無理するわけもなく、内目の2、3番手を比較的楽に進めるといった「レース展開」を予想しました。
もちろん、ゴールドシップに得意のマクリを決められたら万事休す。
若いファンは盛り上がっていましたが、私には、彼に往年の力が残っているとは思えず、マクリ切れないと判断していました。
うまくいくときは全てがいい感じになるもので、ひいきしている吉田隼人騎手が完璧な騎乗で快勝。
レース後のコメントにもあるように
「この馬にうまく乗れるのも自分が一番だと思っています。だからこそ、スタートから出していっても抑えられる自信がありました」
超抜群のスタートを切って、先頭に立つまで追い続けた後、キタサンブラックと
リアファルが来るのを待って内目のポケット確保、往年の故野平裕二騎手を彷彿させる騎乗振り(って、いくらなんでも持ち上げ過ぎかな(笑)
ゴールドシップがマクってきても慌てず、絶妙のタイミングで追い出してから、「声を出してガムシャラに追って」(吉田隼人談)、デムーロ騎乗のサウンズオブアースの強襲をクビ差凌いで先頭でゴール。
こっちだって、
「吉田隼人ぉ~!」
ありったけの声で叫び続けました。
尚、ゴールドアクターはGⅡを頭差で勝ったばかりでGⅠでは・・・
という新聞の見解がありましたが、サウンズオブアースと一緒に走ったGⅠ菊花賞では3着の実績がありました。
圧倒的に内枠が有利だったこのレースでの枠順は、サウンズオブアースが④番でゴールドアクターは⑩枠だったのです。
このように、いつもうまくいくわけではありませんが、
馬券の持論である「イン・セン・テン・キ・クン★スキ作戦」が見事に決まった会心のレースです。