ある日の午後、中山競馬場のスタンド前に立った時、
「ハイセイコーの出現で賑わいをみせていた競馬も、これで終わりか……」
と思えました。
それほどまでに、観客の入りが少なく、閑散としたスタンド風景が目の前に展開されていたからです。
このような時期に登場したのが、既に他界したオグリキャップであり、今なお最前線で活躍している武豊騎手でした。
この二大スターが、崩壊寸前(?)の競馬界の救世主となったことに異論を唱える人はいないでしょう
(めちゃくちゃ少なくなったとは思いますが……)。
その後、この二大スターを中心に、JRAは復活に向けて動いていくことになります。
そうです。
1989年の春の天皇賞でイナリワンに騎乗した、若手売出し中だった武豊
騎手。
京都の4コーナーは確かに内が開きやすいのですが、それにしても他の騎手は意図的(少なくとも私の目にはそう映りました)に大外を回ったことで、武豊騎手は悠々とインコースを通って優勝。
それから翌年、国民的アイドルとなったオグリキャップのラストランとなった有馬記念で、同日の900万クラスに劣る異常(?)なタイムで、大成長した武豊騎手を背に快勝。
隣の元カノが泣いて喜んでいました。
そりゃあ、競馬会そのものがなくなってしまっては元も子もないわけで、社内(競馬会)の空気が読める中堅サラリーマン(騎手を含む競馬関係者)なら、誰だってわかることです。
決して「八百長」ではありません。
あれから三十数年、思えば競馬もずいぶんと様変わりしました。
馬連、3連単が今や馬券の主力になり、今では珍しくない「万馬券」の特券(かつて1,000円の馬券をこう呼んでいました)を、自分が経営する高円寺の軽食屋の店内に大ニュースとして貼り出す店主がいた、なんていうエピソードもありました。
私も、ハイセイコーが中央競馬に移籍した時から、ずいぶんと長いこと競馬と付き合ってきました。
私も競馬にはいつも叩きのめされてきましたが、なんとか自分のブログを立ち上げるまで続けてくることができました。
競馬を「趣味だ」というと、最初に必ず聞かれるのが、
「当たりますか?」
「いくら儲かっていますか?」
です。
「今までに一番印象に残っているレースは何ですか?」
「どうやって馬券にアプローチしていますか?」
なんていう中身のことは聞かれません。
私の競馬歴約47年の間に使った競馬新聞代は、ざっと200万円程度は超えています。
電車の中で競馬新聞を広げていると蔑さげすんだ目でみられた時代から、私は堂々と読んでいました。
ずいぶんと競馬への研究費と時間を「投資」してきたと思います。
それでも、どうにかこうにか、ここまで来ることができました。
かつては30 馬身もの差があった世界の一流馬との差がオルフェーヴルによって数センチまで迫ってきた歴史を見続けてきました。
日本の馬が、世界最高峰である凱旋門賞馬に輝く日はもうそう遠くはないのです。
現に、日本の競馬とは異質にある凱旋門賞以外では、世界の超一流馬を相手に日本の馬が大活躍しています。
私自身、ドロップアウトせずに、今まで、競馬を続けてこられたことだけが自慢です。
これからも競馬と付き合い続けていきます。
競馬は私の人生そのものだからです。
競馬を愛してやまない、そんな同志の方々に、このブログが少しでもお役に立つことができれば幸いです。
それでは、一緒に盛り上がっていきましょう。
「夢の万券ゲット!」ブログを、よろしくお願いいたします。